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言語遊戯

小説や詩や雑文やら言葉との戯れ( `ー´)ノ

案山子の憂鬱 第一回

その晩、奇跡が起こった。

 

案山子は、稲妻をその目で見たのだった。

いつも見ているおじいさんとおばあさんの農作業姿ではなく、確かに稲妻を見たのだった。

そしてその稲妻を見た瞬間から、案山子は、自分の体が自由に動き、思考もできることに気付いたのであった。

 

案山子は本来、案山子であるべきだった。いいや、今でも案山子であるに違いないが、案山子は人間的な心、体を持った、完全なる案山子へと変貌したのであった。

自由を手に入れた案山子は、雨を感じることができた。激しくなる雨に叩きつけられながら、思った。

>>コレガ雨。ハジメテノ雨ダ・・・

おもむろに、案山子は体を括り付けている縄を外そうともぞもぞと動き始めた。足を縛っている縄はしっかりと固定していて動きそうになかったが、幸い、右手の縄はただ引っ掛けていただけだった。

その縄を外し、左手、両足と外していくと十分自由になった気がしてきた案山子は、喜びのあまり雄たけびをあげた。

 

案山子が案山子として存在していた田園風景は失われつつある昔の日本だった。農業は本来、自然破壊であるが、田舎の農村は、破壊を緩やかにすることにより、自然の治癒力と平衡しながら、自然を破壊することなく、共存を図ろうとしていた。

 

大規模農業はその均衡を破ろうとするが、小規模農業は、破壊と治癒の融和により、プラスマイナスゼロを保とうとしている。そのコンセプトは、自給自足。つまり、足るを知るだ。案山子が育った環境は、まさにその農業がおこなわれている地域。現代で言えば、限界集落。その限界集落の高齢の農家の家で生まれた。生まれたという表現がおかしいなら、作られた、創造された。そう、案山子は過疎の村の高齢なる老婆より創造されたのだ。旧約聖書で神が人間を創造したように、案山子も老婆によって創造されたのだった。